Quid rides? Mutato nomine de te fabula narratur. クィド リーデース ムータートー ノーミネ デー テー ファーブラ ナッラートゥル なぜ笑う? 名前を変えればお前の話になるのに
風刺詩の一節
今回のフレーズ Quid rides? Mutato nomine de te fabula narratur. 「なぜ笑う? 名前を変えればお前の話になるのに」は古代ローマの詩人ホラーティウスの作品に見られる言葉です。ホラーティウスは連載第3回で carpe diem を取り上げましたが、今回は、『サトゥラエ』(Saturae)という作品の第1巻に出てくる言葉です。夏目漱石の『三四郎』で、与次郎が「ダーターファブラ」という言葉を口にする場面がありますが、これは Quid rides? Mutato nomine de te fabula narratur. の de te fabula から取られているものです。
ホラーティウスが書いた作品『サトゥラエ』は『風刺詩』とも訳され、彼が最初に刊行した作品でもあります。また、satura は、英語の satire「風刺」の語源になっています。
まずは、各単語を見ていきましょう。
| 文中の単語 | 辞書の見出し語 | 品詞 | 見出し語の意味 | 性、活用・曲用 |
| quid | quid | 副詞 | どうして、なぜ | |
| rides | rideo | 動詞 | 笑う | 直説法能動態現在二人称単数 |
| mutato | muto | 動詞 | 変える | 完了受動分詞中性単数奪格 |
| nomine | nomen | 名詞 | 名前 | 中性単数奪格 |
| de | de | 前置詞 | …について | |
| te | tu | 代名詞 | あなた | 単数主格 |
| fabula | fabula | 名詞 | 話、物語 | 女性単数主格 |
| narratur | narro | 動詞 | 語る | 直説法受動態現在三人称単数 |
rideo は、ハリーポッターシリーズに登場する呪文にも使われている英語 ridiculous「ばかばかしい」などの語源になっています。muto は英語の mutant「突然変異体、ミュータント」や、新型コロナウィルス関連のニュースでよく目にする mutation「変異」などの語源です。nomen には nomenclatura「名前を述べること」という派生語があり、これがロシア語 nomenklatúra「リスト」になりました。このロシア語は、ソ連時代に「党や政府の上級機関の承認により任命された役職の一覧表」を指すようになり、そこに載っている人たちというイメージで「特権的幹部」を指しました。これが、日本語にそのまま入り「ノーメンクラトゥーラ」となりました。fabula は英語の fabulous「素晴らしい」の語源です。この英単語は、カタカナ語「ファビュラス」にもなっています。また、スペイン語の hablar「話す」も fabula にさかのぼれる単語です。
前半の Quid rides? は「なぜお前は笑うのか?」です。「お前は何を笑っているのか?」と解釈することも可能です。後半の Mutato nomine de te fabula narratur. 「名前を変えれば、話はお前について語られている」の mutato nomine は「絶対奪格」と呼ばれる用法で、この部分は独立した節のような働きをします。奪格の名詞と奪格の分詞、あるいは名詞、形容詞を並べて作られ、時や原因、条件、付随行為、譲歩などを表します。今回の mutato nomine は「名前を変えれば」「名前が変えられたので」「名前が変わっても」「名前が変えられた時」など、さまざまな解釈が成り立ちますが、文脈を考えれば、ここの mutato nomine は「名前を変えれば」という、条件の絶対奪格だと考える方が自然です。

ヴォルヴィック(フランス、ピュイ=ド=ドーム県)のマス広場にある噴水に刻まれた碑文(本記事該当箇所)© Hadrianus13, 2014
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Volvic.Horace1.JPG
ホラーティウスの警告
この文が見られるのは、『サトゥラエ』第1巻の第1歌の69行です。それまでは、他の職業や地位をうらやましく思いつつ、実際はその人と自身の境遇とを交換する気にならない人たちや、必要以上に財産を溜め込む人について歌われています。そして、貪欲な人間への警告としてタンタロスの話が出てきます。Quid rides? の前は Tantalus a labris sitiens fugientia captat flumina. 「喉が渇いたタンタロスは、川の水を飲もうとするが、それは唇から逃げていく」となっています。タンタロスはギリシャ神話に登場する王様で、神々の怒りに触れた結果、永遠の罰を受けました。その罰として、喉が渇いて水を飲もうとすれば水が引いて飲めず、木になっている実を取ろうとすると枝が遠ざかって食べられず、タンタロスは永遠に渇きと飢えに苦しんでいました。この話から、英語の tantalize「じらして苦しめる」という動詞が生まれています。また、「タンタル」という元素もタンタロス由来です。この元素は、酸に浸されても何も吸収することがないからです。

ベルナール・ピカール『タンタロス』(1733年以前)
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Tantal.jpg
Mutato nomine de te fabula narratur. 「名前を変えれば、話はお前について語られている」の後に書かれているのは、「あなたはあちこちに穀物袋を積み重ね、口を大きくあけて眠り、そしてあたかも聖物のようにそれに手をつけるのを控え、あるいはあたかも絵画のようにそれを楽しむはめになっているのです」です。タンタロスについては、水に浸かっていても、飲もうとすると水が逃げていくという話でしたが、穀物に囲まれて、穀物を貯めるだけで食べない人をホラーティウスはタンタロスに譬えています。つまり、強欲な人間はタンタロス同然の生活を送っていると言っているわけです。
〈参照文献〉
