Morituri te salutamus モリトゥーリー テー サルータームス 死なんとする我々があなたに挨拶する
死に臨む剣闘士の言葉?
Morituri te salutamus 「死なんとする我々があなたに挨拶する」は、剣闘士が試合前に、皇帝に対して言っていた言葉だと伝えられています。有名なフレーズで、第2次世界大戦においても使われました。ニューギニア島の東にあるニューブリテン島のラバウルという町で使われたのです。現在、ニューブリテン島はパプアニューギニアに属していますが、1942年当時はオーストラリアの委任統治領でした。ここを勢力下に収めようとした日本軍は、この島に攻撃を仕掛けます。空襲はすさまじく、この地に配属されていたオーストラリア空軍は勝ち目がないと判断し、空軍本営に Morituri vos salutamus 「死なんとしている我々が、あなたがたに挨拶を送ります」という電報を送りました。
まず、1つ1つの単語を見ていきましょう。
| 文中の単語 | 辞書の見出し語 | 品詞 | 見出し語の意味 | 性、活用・曲用 |
| morituri | morior | 動詞 | 死ぬ | 未来能動分詞の男性複数主格 |
| te | tu | 代名詞 | あなた | 単数対格 |
| salutamus | saluto | 動詞 | 挨拶する | 直説法能動態現在一人称複数 |
morituri は未来能動分詞で、元になった動詞 morior は、英語 mortal 「死ぬ運命にある」「(不死なる神々に対する存在としての)人間」、mortify 「はずかしめる」、postmortem 「検死」、moribund 「瀕死の」、mortgage 「抵当」の語源になっています。postmortem は、ラテン語 post mortem 「死後に」をそのまま使っています。また、英語の murder 「殺人」と同じ源にさかのぼれます。動詞 salutamus が一人称複数なので、文字通りには「死なんとする我々が…挨拶する」という意味になります。
tu は、英語の古語 thou 「おまえ」と同じ源にさかのぼれます。現代英語の you は、古英語の二人称複数の代名詞が元になっています。
saluto は、英語 salutation 「挨拶」、salute 「敬礼」、salvation 「救い」、salvage 「海難救助」の語源になっています。「挨拶」と「救い」の関係については、救いは「安全」や「健康」に関連し、挨拶は相手の健康を願う言葉が元になっているからです。このことは、フランス語の salut に「救い」と「挨拶」、または「やあ!」という意味もあることからも分かります。
フキヌス湖の模擬海戦
では、実際にこのフレーズは、剣闘士が試合前に言っていたのでしょうか。実は、このような内容の言葉を剣闘士が慣例的に言っていたという記録は、古代に書かれた作品の中には見られません。同様の意味のフレーズは、スエトニウスが書いた『ローマ皇帝伝』(第5巻「クラウディウス」21)にあります。この作品によれば、クラウディウス帝は、周辺の土地が洪水の被害を受けることを防ぐため、フキヌス湖(現在のイタリアのアブルッツォ州西部にある湖)から水を現在のリーリ川に排出させる際に、その湖上で模擬海戦を開催しようとしました。そこで戦おうとしている人たち(伝えられるところによれば、19,000人の罪人たち)が、試合前に皇帝に「皇帝万歳。今や死なんとしている人々があなたに挨拶を送ります(Have imperator, morituri te salutant!)」と言ったと伝えています(ここでは、動詞は一人称ではなく三人称になっています)。それに対して、皇帝は「死なないかもしれない(Aut non.)」と返しました。この出来事は、カッシウス・ディオという歴史家も伝えています(『ローマ史』第61巻)。彼はギリシャ語で書いたので、この箇所は χαῖρε, αὐτοκράτορ· οἱ ἀπολούμενοί σε ἀσπαζόμεθα となっています。意味は同じく、「皇帝万歳、死なんとしている我々があなたに挨拶を送ります」です。αὐτοκράτορ は、英語の autocrat 「専制君主」の語源になっています。ἀπολούμενοί は morituri と同じく、未来分詞です。厳密に言うと、ἀπολούμενοί は ἀπόλλυμι 「破壊する」という動詞の中受動態未来分詞です。ἀπόλλυμι は、英語 delete 「削除する」、abolish 「廃止する」と同じ源にさかのぼれます。

ウルピアーノ・チェカ『模擬海戦』(1894年)
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:La_naumaquia-Ulpiano_Checa.JPG
さて、Aut non と返したクラウディウスの意図は、模擬海戦で勝った人は死を免れるだろうということでした。しかしながら、皇帝のこの言葉の後、今から戦おうとしていた罪人たちの誰一人として、戦闘を行おうとはしませんでした。彼らは、皇帝の言葉で「自分たちは免罪された」と思ったのです(neque post hanc vocem quasi venia data quisquam dimicare vellet)。最終的に皇帝は、時には脅しながら、時には鼓舞しながらきちんと模擬海戦を戦うように仕向けました。
この海戦について、スエトニウスはその後のいきさつを書いていませんが、タキトゥスが『年代記』(第12巻56)において、ここで戦った人々は、勇敢に戦ったために、全員が死ぬことは免除されたと書いています。
ちなみに、クラウディウスが湖を排水した際に建造したトンネルは、現在も残っています(イタリア語で Cunicoli di Claudio)。排水のために掘られたトンネルは6キロメートルと大変長く、現在でもその遺構が見られます。近くに行った際は、2000年前の土木作業の作品を見てみてください。結局、フキヌス湖の排水作業はクラウディウスの時代に完了したわけではなく、後の時代にも数回試みられ、最終的に19世紀までかかり、現在、その湖があったところは大規模な農地となっています。イタリアに行ったときに口にする野菜は、この湖跡地で生産されたものかもしれません。
〈参照文献〉
