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名句の源泉を訪ねて 

Quo vadis? クォー ウァーディス あなたはどこへ行くのですか。

小説『クオ・ワディス』

 この言葉は、小説のタイトルとして知っている方が多いと思います。私も、最初にこの言葉を知ったのは岩波文庫が並んでいる本棚でした。「クオ・ワディス」という題名は他の小説のタイトルと違って、それが登場人物の名前なのか、あるいは架空の場所の名前なのか、など、推測するのが難しいものでした。

 この作品は、ポーランドの作家ヘンリク・シェンキェヴィチ(1846-1916;1905年ノーベル文学賞受賞)による歴史小説です。時代背景は、キリスト教が起こって間もないローマ帝国です(ネロ帝の治世)。その中で暮らすある男女がメインのストーリーになっています。ウィニキウスという青年はリギアという女性に恋をするのですが、リギアは新興宗教であるキリスト教の信者でした。そして、ウィニキウスはリギアを追うと同時にキリスト教の思想にも傾倒していきます。しかし、当時はネロ帝によるキリスト教の弾圧の真っただ中。弾圧の手は、リギアや彼女の仲間のキリスト教徒にも迫っていきます。ついにリギアを含めキリスト教徒はローマの大火の犯人として捕らえられてしまうのですが、彼女たちは助かるのか、ウィニキウスの恋の行方は、ぜひ本を読んでみてください。

 そんな本のタイトルになった Quo vadis? の単語の解説は、以下の通りです。

文中の単語 辞書の見出し語 品詞 見出し語の意味 性、活用・曲用
quo quo 副詞 どこへ  
vadis vado 動詞 行く 直説法能動態現在二人称単数

 この動詞 vadis は二人称単数形なので、Quo vadis? で「あなたはどこへ行くのですか」となります。

 ラテン語では「どこから」「どこに」「どこへ」を指すのにそれぞれ別の単語を使います。「どこから」は unde(スペイン語の donde 「どこに」の語源)、「どこに」は ubi(フランス語 où 「どこに、どこへ」の語源)、そして「どこへ」が quo です。英語では「どこから」は where … from、「どこに」は where、「どこへ」も where ですが、昔の言い方で「どこから」を指すwhence、「どこへ」を指す whither という単語もあります。quo「どこへ」については、ラテン語が元になっているロマンス諸語には受け継がれなかったようです(「どこへ」を指すイタリア語は dove、フランス語は où、スペイン語は a dónde、ポルトガル語は para onde)。

 また、vado 「行く」はフランス語の je vais, tu vas, il va 「私は行く、あなたは行く、彼は行く」などの語源です。ただ、「私たちは行く」「あなたたちは行く」は、それぞれ nous allons、vous allez と、別語源の活用になります(不定詞 aller 「行く」も同様)。しかし、「彼らは行く」は ils vont で vado 由来のものです。

Quo vadis? の起源

 では、この Quo vadis? という言葉はどうやって生まれたのでしょう? シェンキェヴィチの小説の終盤には、この文が刻まれたローマにある教会についての言及があります。それは実際に存在し、イタリア語で Chiesa del Domine quo vadis(「主よ、どこへ行くのですか教会」)という名前で知られています。その教会の外壁に、このようなラテン語があります。

HAEIC PETRUS A XSTO PETIIT : DOMINE QUO VADIS

ここで、ペテロはキリストに尋ねた。「主よ、どこへ行くのですか」

ドミネ・クォ・ヴァディス(主よ、どこへ行くのですか)教会(ローマ)
ドミネ・クォ・ヴァディス(主よ、どこへ行くのですか)教会(ローマ)
© Holger Gruber, 2005
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Quo_Vadis_Via_Appia_Rom.jpg

 

 アッピア街道に面するこの教会がある地でペテロがイエスにこう尋ねたという逸話は、聖書の正典と決められている文書の中には無いのですが(「主よ、どこへ行くのですか?」と尋ねる場面自体はヨハネによる福音書13章(最後の晩餐に関する章)36節にあり)、この教会付近でそう尋ねた話は、外典の『ペテロ行伝』にあるものだと考えられています。そこには、このようなことが伝えられています。

 キリスト教の弾圧がローマで厳しくなり、ペテロは周りの人に都を離れるように勧められます。その忠告に従いローマから出ようと道を歩いていたところ、イエスが目の前に現れました(この時代はネロ帝の治世であり、イエスの磔刑からだいぶ後です)。ペテロが「主よ、どこへ行くのですか?(Domine, quo vadis?)」と問うと、イエスは「私は、もう一度十字架にかけられるためにローマに行く」と答えました。ローマから脱出する自分をイエスは快く思っていないと考えたペテロは、「来た道を戻って、あなたに従います」と言い、気持ちを改めます。すると、イエスは天に昇りました。ペテロはローマに戻り、そこで殉教しました。

 ここでは、Quo vadis? の前に Domine 「主よ」という呼びかけがあります。これは位の高い人への呼びかけに使われる表現です。文法的な説明をすると、dominus 「主人」の単数呼格です。キリスト教の文脈では Dominus は「イエス・キリスト」という意味で、「神」を指すこともあります。

 イタリアのとある教会の成り立ち、また有名な小説のタイトルにはこのような背景がありました。イタリアに行った際は、ぜひこの教会を訪れたいものです。

 

〈参照文献〉

シェンキェーヴィチ『クオ・ワディス(上・中・下)』木村彰一訳(岩波文庫、1995)。
Lipsius, R.A. & M. Bonnet (1891). Acta Apostolorum Apocrypha. Hermann Mendelssohn.

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著者略歴

  1. ラテン語さん

    東京古典学舎研究員。高校2年生からラテン語の学習を始め、2016年から Twitter(現 X)でラテン語の魅力を日々発信している(アカウント名: @latina_sama)。企業等からのラテン語翻訳の依頼も多数。2022年にはアニメ『テルマエ・ロマエ ノヴァエ』とノートパソコン Chromebook のコラボ CM で使われるラテン語を監修した。著書に『世界はラテン語でできている』(SB クリエイティブ、2024年)、『座右のラテン語 人生に効く珠玉の名句65』(SB クリエイティブ、2025年)、『ラテン語でわかる英単語』(ジャパンタイムズ出版、2025年)などがある。

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