Sic itur ad astra シーク イトゥル アド アストラ こうして人は星に行くのだ
ラテン文学の金字塔
ラテン語を語る上で、ラテン文学の金字塔と称される『アエネーイス』を取り上げないわけにはいきません。この話は、12巻につづられたローマの建国物語です。作者はウェルギリウス(70-19 B.C.)という詩人で、アウグストゥス帝の時代を生きた人です。他にも『牧歌』や『農耕詩』などの作品が現代に伝わっています。ウェルギリウス自身はこの作品をあまりよく思っていなかったものの、『アエネーイス』は古代でも広く読まれていたようで、この作品の文を書き写したものが複数、ポンペイで見つかっています(arma virumque cano . . . 「戦いと男を私は歌う」で始まる第1巻1行目の引用もあれば、fullones ululamque cano, Arma virumque 「洗濯屋とフクロウを私は歌う。戦いと男をではなく」という、1行目のフレーズをもじった落書きも発見されています)。
『アエネーイス』の主人公は小アジア(現在のトルコのアジア部分)にあった都市トロイヤの英雄アエネーアースで、ローマの建国に大きな役割を果たした人物として描かれています。トロイヤとギリシアが戦争した際、トロイヤがギリシア軍により陥落しました。アエネーアースは父アンキーセースや息子アスカニウス、加えて仲間たちと共に故郷を逃れ、新たな都市を建設するためにイタリアに向かいます。途中で北アフリカの都市カルターゴーに漂着して、アエネーアースはその地の女王ディードーと出会います。ディードーはここに来たいきさつを教えるように頼み、アエネーアースは辛い記憶を呼び起こしながら、故郷で何があったかを詳細に回想します。

ピエール=ナルシス・ゲラン
『トロイヤの陥落をディードーに語り聞かせるアエネーアース』(1815年)
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Guérin_Énée_racontant_à_Didon_les_malheurs_de_la_ville_de_Troie_Louvre_5184.jpg
やがてアエネーアースはディードーと恋に落ちて一時は建国から遠ざかるのですが、アエネーアースの夢に彼の祖先が登場し、当初の目的を忘れた彼を厳しくとがめます。アエネーアースは祖先の教えに従い、イタリアを目指す旅を再び始めます。その際、ディードーを置き去りにしてカルターゴーを去ったため、取り残されたディードーは錯乱し、最終的には自死しました。アエネーアースとその一行は長い放浪の末やっとイタリア半島にたどり着くのですが、建国はスムーズにいきませんでした。現地の人々とトロイヤ人との間で争いが起こり、『アエネーイス』の終わりの部分はその戦闘が描かれています。その中で、イタリアに以前から住んでいたヌマーヌスという人物が、トロイヤ人を罵倒する演説を行います。アエネーアースの息子であるアスカニウスは、演説のさなかのヌマーヌスを矢で打ち倒します。このような光景を、神アポッローが天から見下ろし、アスカニウスを Sic itur ad astra という言葉で称えました(第9巻641行)。

アエネーアースの行程(Ⓒ Rcsprinter123)
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Aeneae_exsilia.svg
星へ行く
今回取り上げる Sic itur ad astra は、「こうして人は星に行くのだ」という意味です。各単語を解説しましょう。
| 文中の単語 | 辞書の見出し語 | 品詞 | 見出し語の意味 | 性、活用・曲用 |
| sic | sic | 副詞 | このように | |
| itur | eo | 動詞 | 行く | 直説法受動態現在三人称単数 |
| ad | ad | 前置詞 | …へ | |
| astra | astrum | 名詞 | 星 | 中性複数対格 |
sic は、英語でも「原文ママ」という意味で使われます。例えば、引用する文の中に文法的におかしいところがあった際に、その誤りは元の文章にあることを示すために [sic] と書くのです。
ad には「…にしたがって」という意味もあり、「アドリブ」の元のラテン語 ad libitum は「楽しみにしたがって」という意味です。また、「アドホック接続」などは「この場限りの接続」という意味ですが、これはラテン語の ad hoc 「これに、それに」をそのまま使っています。
itur が「行く」という意味で、受動態というのは違和感を覚えませんか? 受動態とは、何かの他動詞(例えば amō 「愛する」)の能動態の行為を受ける場合に使われるものだけだと想像されるのが普通です。しかし、ラテン語のいくつかの自動詞は受動態の活用も持っており、その場合は主語を明示せずに「その動作が発生する」というニュアンスを出します。したがって、訳は能動態とほぼ同じになります。そのため、Sic itur ad astra が「こうして人は星に行くのだ」と訳されるのです。
astrum はギリシャ語 ἄστρον 「星」を借用したもので、ἄστρον 自体は ἀστήρ 「星」の派生語です。ἀστήρ は英語 asteroid 「小惑星」、asterisk 「アスタリスク(*)、星型記号」などの語源になっています。ちなみに、asteroid の -oid は「…のような」という意味の接尾辞で、語源は εἶδος 「形」です。android 「アンドロイド」も原義は「人間のようなもの」で、前半部分の元はギリシャ語 ἀνήρ 「人間、男性」です。ἄστρον は他にも astronomy 「天文学」、astrology 「占星術」、astronaut 「宇宙飛行士」の語源でもあります。
ad astra itur「星へ行く」という表現は、人が不死なる存在、いわゆる天の神々と同じ地位に昇ることを表しています。アポッローは、アスカニウスが神々に等しい不死なる存在になったと言って称賛しているのです。そのアスカニウスは、アルバ・ロンガという町を建設します。ローマの建国者と伝えられるロームルスは、そのアルバ・ロンガに生まれました。アスカニウスは『アエネーイス』の主人公ではありませんが、ローマ建国伝説において、この都市の創建につながった役割は決して小さくありません。
〈参照文献〉
