Quousque tandem abutere, Catilina, patientia nostra? クォウースクェ タンデム アブーテーレ カティリーナ パティエンティアー ノストラー カティリーナよ、お前はいったいいつまで我々の忍耐につけこむつもりか。
弁論家キケロー
今回取り上げるのは、政治家のマールクス・トゥッリウス・キケローの『カティリーナ弾劾演説』の初めの一文、Quousque tandem abutere, Catilina, patientia nostra? 「カティリーナよ、お前はいったいいつまで我々の忍耐につけこむつもりか」です。キケローは『友情について』、『老年について』などを書いた哲学者として有名ですが、優れた弁論家でもありました。彼によるラテン語散文は、カエサルと並んで今の時代も作文の規範とされています。ラテン語で書く人の中にはキケローが使った語法しか認めない人もいたようで、エラスムスによる対話篇『キケロー派』にもそのような人物が登場します。そんなキケローの演説は数多く残っていますが、最も有名なものが、今回取り上げる『カティリーナ弾劾演説』です。弾劾といっても、カティリーナが要職に就いていたわけではなく、ここでは「弾劾裁判」のような使い方ではありません。「犯罪や不正をはっきりさせて、責任を取るように求めること」というより広い意味で使われています。
意外と有名なフレーズ?
キケローの『カティリーナ弾劾演説』は大変有名なもので、ラテン語の読解の授業でもよく用いられます。私自身大学2年の時に、岩崎務先生の『カティリーナ弾劾演説』の講読の授業をとっていました。また、多言語話者のロシア人に「私はラテン語を勉強しています」と言ったら、Quousque tandem abutere, Catilina, patientia nostra? と言われたことがありました。イタリア語辞書によれば、「カティリーナ弾劾演説」という意味の catilinaria という単語は他にも「糾弾」を意味します。また同じ辞書で quousque tandem と引くと、「いったいいつまで」や「忍耐の限界である」という意味が載っています。イタリア語圏でも知られているフレーズであることが分かります。さらにこの演説は、オバマ政権下のアメリカ合衆国において大統領が不法移民500万人の救済などを盛り込んだ大規模な移民制度改革を発表した際に、共和党のテッド・クルーズ議員が『カティリーナ弾劾演説』を引用しながら大統領を批判した際にアメリカで話題になりました。その際は When, President Obama, do you mean to cease abusing our patience? と、呼びかけのところを大統領の名前に変えています。
この一文目の個々の単語を文法的に見てみましょう。
| 文中の単語 | 辞書の見出し語 | 品詞 | 見出し語の意味 | 性、活用・曲用 |
| quousque | quousque | 副詞 | いつまで | |
| tandem | tandem | 副詞 | 一体全体 | |
| abutere | abutor | 動詞 | 乱用する | 直説法未来二人称単数 |
| Catilina | Catilina | 名詞 | カティリーナ | 男性単数呼格 |
| patientia | patientia | 名詞 | 忍耐 | 女性単数奪格 |
| nostra | noster | 所有形容詞 | 我々の | 女性単数奪格 |
abutor の直説法未来二人称単数 abutere には、abuteris という別形もあります。abutor は、活用語尾は受動態なのに意味は能動態という、デポネント動詞の一種です。また abutor は英語の abuse 「乱用する、悪用する」の語源にもなっています。この演説での patientia abutor は「忍耐につけこむ」と訳されますが、この日本語はあまり聞き慣れないかもしれません。「いったいいつまで我々の寛大さに甘えるつもりなのか」と訳してもよさそうです。patientia は、英語 patience 「忍耐」の語源です。patior 「耐える」という動詞の派生語で、patior の現在分詞 patiens 「耐えている」は英語 patient 「患者」の語源になっています。 nostra 「我々の」はフランス語で notre になり、「われらの婦人」という意味の Notre Dame は聖母マリアを指す表現として使われています。
カティリーナの陰謀
さて、それではなぜキケローがこの演説をするに至ったかを解説します。キケローは政治の道を志し、その中でも徐々に昇進していき、紀元前63年には政治のトップである執政官(コーンスル)に就きます。その選挙を争った相手が、ルーキウス・セルギウス・カティリーナなのです。選挙のあと、カティリーナは仲間たちと共謀してローマという国家にクーデターを起こそうと計画します。その中には、執政官であるキケローの暗殺計画もありました。幸運なことにその陰謀は、密告によってキケローの知るところとなり、キケローによって未然に防止されることになりました。そんな状況でもカティリーナが元老院にやってきたためキケローはカティリーナを弾劾する演説を行い、その結果カティリーナはローマから逃亡することになります。

チェーザレ・マッカリ『カティリーナを弾劾するキケロー』(1889年)
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Cicero_Denounces_Catiline_in_the_Roman_Senate_by_Cesare_Maccari.png
最終的に彼はローマという国家の転覆を謀って武装蜂起するのですが、ローマ軍に敗れて仲間も彼自身も亡くなってしまいました。戦のあとに戦場であった場所に来たローマ人たちが、親しい人が多く反乱軍に加わっていたことをそこで知って驚いたそうです。カティリーナの生まれから戦死までに関してはサッルスティウスという歴史家が詳しく書いており、岩波文庫にあるので(『ユグルタ戦争 カティリーナの陰謀』栗田伸子訳、2019年)、興味のある方はぜひ読んでみてください。
〈参照文献〉
