ルーン文字とアメリカ:移民社会の古文字
第13回 ルーン文字とアメリカ:移民社会の古文字
アメリカは移民国家です。ドナルド・トランプ大統領はドイツ系アメリカ人の子孫、副大統領の J・D・ヴァンスの妻はインド系アメリカ人、起業家イーロン・マスクは南アフリカからの移住者です。18世紀の建国以来、広大な土地、機会の平等、慣習からの自由などに惹かれて集まる移民たちが、現在のアメリカを作り上げてきました。ローマ帝国が、唐帝国が、モンゴル帝国が、オスマン帝国がそうであったように、明確な原理原則のもとに、あらゆる民族を包摂し、競争させ、その才能を発揮させることで利益を生じさせることが帝国の特徴でもあり、帝国を繁栄させる源泉でした。世界の秩序を作ってきた20世紀のアメリカもまた、そうであったように思います。
北欧人もまた、そうしたアメリカにおける移民社会の一部を構成する要素でした。今でこそ福祉国家として世界屈指の住みやすさをうたう北欧ですが、19世紀は、ヨーロッパ大陸の最貧地域でもありました。少ない人口、貧しい食糧生産、産業化の遅れなど、17世紀の繁栄はどこにいったのかと思うような社会的停滞にありました。ダイナマイトの特許で莫大な財産を築き上げたスウェーデンの発明家アルフレッド・ノベル(Alfred Nobel, 1833-96)のような成功者もいましたが、社会全体としては、豊かな将来像が描けない人々で溢れていました。その結果が、ゴールドラッシュなどで希望が溢れるアメリカへの移住でした。19世紀の半ばから1920年ごろまでに、ノルウェーで全国民の3割程度が、スウェーデンやデンマークでも1割程度がこの流れに乗ったと考えられています。
2025年7月25日発売の月刊漫画雑誌『アフタヌーン』9月号で、20年間連載を続けてきた幸村誠さんによる『ヴィンランド・サガ』が最終回を迎えました。

図版1 幸村誠『ヴィンランド・サガ』29巻(最終巻、講談社、2025)
アイスランド出身のヴァイキングであるトールズの息子トルフィンが、戦乱のない「ここではないどこか」を求めて辿り着いた「ヴィンランド」が物語最後の舞台となっています。
『ヴィンランド・サガ』の「ヴィンランド」は、中世アイスランドで書き残された文献に出てくる地名です。1310年ごろに書き記された『赤毛のエイリークのサガ』(Eiríks saga rauða)には次のような記述があります。
グリーンランドを発見した赤毛のエイリークの息子レイヴル(レイフ・エーリクソン)が、グリーンランドからさらに西へ向かうと、パンの原料になる小麦とワインの原料となる葡萄のある土地に出くわしました(このサガが書かれた14世紀のアイスランドがすでにキリスト教社会であったことを思えば、あまりに出来すぎた記述ですが)。これが「ヴィンランド」と名付けられた土地でした。つまり、この史料に従えば、ヴァイキングがアメリカ大陸を「発見」したのです。

図版2 レイフ・エーリクソンのアメリカ発見(ノルウェーの画家クリスティアン・クロー、1893年)
とはいえ、学者たちは、「発見」の300年後に執筆されたサガの記述には懐疑的でした。そもそもサガというジャンルは、必ずしも年代記のような歴史記録であるとは限らず、当時のアイスランド人が現実と創作をないまぜにして描き出した「歴史物語」であったからです。しかし1960年にノルウェーの考古学者イングスタ夫妻(Helge Marcus Ingstad [1899-2001] and Anne Stine Ingstad [1918-97])が、カナダのニューファンドランド島北部にあるランス・オ・メドウズでヴァイキング時代の遺構を発見することで、「ヴィンランド」(と想定しうるかもしれない土地)が実際に存在したことが証明されました。現在、この遺跡は世界遺産にも登録されています。

図版3 ランス・オ・メドウズにおけるヴァイキング居住地の復元
アメリカを発見したのはコロンブスだ、と私たちは高校世界史教科書で長年教えられてきました。実際のところアメリカでは、コロンブスがアメリカ大陸(彼はインドだと思っていましたが)に逢着した1492年10月12日を「コロンブスの日」(Columbus Day)として、国民の祝日としています(実際には10月第2月曜日という移動祝日になっています)。しかし、1964年以来、レイフ・エーリクソンがアメリカ大陸を「発見」したことを記念する「レイフ・エーリクソンの日」(Leif Erikson Day)が10月9日に定められました。なおこの日は、レイフがヴィンランドに到達した日ではなく(不明なので)、最初のノルウェー移民が、スタヴァンゲルで造船された「レストレーション号」に乗ってニューヨーク港に到着した1825年10月9日に基づいています。
しかし、このような状況は、一夜にしてなったものではありません。アメリカという新世界において北欧中世に対する熱が沸き起こった結果としてなのです。そこで大きな役割を果たしたのが、北欧中世の象徴でもあるルーン文字でした。
冒頭で述べましたように、19世紀の半ば以降、大量の北欧人がアメリカ大陸に流入しました。彼らは、故郷と気候の近い、アメリカ北東部のウィスコンシン州などを中心に定住しました。様々な背景を持つ移民でごった返すアメリカにおいて、それぞれの移民社会は、祖先の地である旧大陸と生活の地である新大陸との間を繋ぐ物語を必要としていました。どちらかと言えば後発組である北欧移民もまた、アメリカ社会における自身のアイデンティティを確立するための歴史が切望されていたのです。
そのような中で注目を集めたのが、デンマークの文献学者カール・クリスティアン・ラヴン(Carl Christian Rafn, 1795-1864)が、1837年に刊行した『アメリカの古事物』(Antiquitates Americana)でした。

図版4 カール・クリスティアン・ラヴン
連載第11回で述べたように、18世紀以降、ヨーロッパは文献学の時代に入っており、とりわけ古い記録が残ると考えられていた北欧の史料には、熱い視線が注がれていました。1825年にはコペンハーゲンに「北欧古遺物協会」(Det Kongelige nordiske Oldskriftselskab)が設立されました。ラヴンもその設立メンバーの一人となったこの組織は、古代・中世の北欧に関する歴史・考古史料の収集と刊行を積極的に推進しました。『アメリカの古事物』もその1つでした。この史料集成においてラヴンは、とりわけアイスランドの著名な写本『フラート島本』(Flateyjarbók)に収められていた「ヴィンランド・サガ」(Vinland saga)に注目しています。彼によれば、従来の古北欧研究においてさほど検討対象となっていなかった「ヴィンランド・サガ」は、十分に信頼するに足りる情報を含んでいる、つまりコロンブス以前にヴァイキングがアメリカに到達したことは事実であることを証言している、とのことでした。
ラヴンの故国デンマークと異なり、この時代のアメリカでは古ノルド語やラテン語の原典集成をそのまま理解できる人は多くありませんでした。しかし、北欧古遺物協会のアメリカにおける通信会員、ラヴン自身による英文要約、補遺として本文に追加された比較言語学者のラスムス・ラスク(Rasmus C. Rask, 1787-1832)のアイスランド語文法の英訳などを通じて、アメリカ社会においても、アカデミアから一般へとラヴンの主張が徐々に共有されるようになりました。ラヴンは「ヴィンランド」の位置を、アメリカの最も歴史の古い地域であるニューイングランド周辺部と想定し、その周辺で北欧人到来の痕跡の収集を試みました。
ラヴンの成果を受けてアメリカにおける北欧研究を組織的に進めたのはラスムス・ビョルン・アンダーソン(Rasmus Bjørn Anderson, 1846-1936)でした。

図版5 ラスムス・ビョルン・アンダーソン
ノルウェー移民第二世代のアンダーソンは、勤務先のウィスコンシン大学にアメリカ初の北欧研究学部(Department of Scandinavian Studies)を創設しました。そのアンダーソンが執筆したのが『アメリカを発見したのはコロンブスではなかった』(America not discovered by Columbus, 1874)です。同書は、ラヴンの著作などを材料に、アメリカに最初に到達したヨーロッパ人はヴァイキングである、という主張を一般読者に向けて説く内容でした。彼は在デンマーク・アメリカ大使も務めるとともに、1886年に「古北欧協会」(The Norrœna Society)を創設し、アメリカにおける北欧中世熱を高める役割を果たしました、1905年から翌年にかけて、古い北欧文献を英訳した「古北欧文庫」(Norrœna Library)全16巻を刊行し、ゲルマンやケルトを含む古北欧の歴史と文化をアメリカ社会に普及させました。
このような活動を通じて、アメリカ移民社会、さらにはそれ以外のアメリカ国民の間にも、北欧中世に対する強い関心が生まれることになりました。
1898年、スウェーデン移民で農業を営んでいたウーロヴ・オーマン(Olof Ohman, 1854-1935)が、ミネソタ州ダグラス郡ソレムのケンジントンにある自身の農場で、ルーン文字が刻まれた石碑を「発見」しました。この「発見」は、現地のマスコミを通じて直ちにニュースとなりました。その後、幾度かの売却などによる所有者の変更を経て、この石碑は現在、ミネソタ州アレクサンドリアの「ルーン石碑博物館」(Runestone Museum)で展示されています。まずはこのケンジントン石碑の内容を確認しましょう。
Text: 8 : göter : ok : 22 : norrmen : po : ...o : opþagelsefärd : fro : vinland : of : vest : vi : hade : läger : ved : 2 : skLär : en : dags : rise : norr : fro : þeno : sten : vi : var : ok : fiske : en : dagh : äptir : vi : kom : hem : fan : 10 : man : röde : af : blod : og : ded : AVM : frälse : äf : illü. här : (10) : mans : ve : havet : at : se : äptir : vore : skip : 14 : dagh : rise : from : þeno : öh : ahr : 1362 :
8人のイェータ人(スウェーデン南西部を拠点とする民族集団)と22人のノルウェー人がヴィンランドから西方へ旅を。我々はこの石から北に一日旅をしたところに2人で宿泊した。我々は一日魚釣りをした。我々は帰宅したのち、血で塗れ死んだ10人の男を発見した。聖母が悪からお救いくださいますよう。海の側に10人の男がおり、この島から14日の旅で船を探していた。1362年。

図版6 ケンジントン石碑
このケンジントン石碑に関しては、デンマークのルーン学者エリック・モルトケ(Erik Moltke, 1901-84)が、文献学的見地から、19世紀の創作であると認定しました。それ以降、学者の間では、疑問の余地なく偽作と考えられています。ただし、スウェーデンのルーン学者ヘンリク・ウィリアムズ(Henrik Williams, 1958- )は、この石碑の作成者が誰であるにせよ、他者を騙そうと思ってこの石碑に文字を刻んだわけではなく、本人がそのように信じていたから刻んだ可能性も十分にあると指摘しています。そういった意味では、内容は事実と反しているため中世の歴史資料としては使えませんが、作成者は事実と信じていたという点で19世紀末の認識を反映する歴史遺物であり、この点に留意して石碑の解釈は行わなければならない、としています。
この碑文の内容がフェイクであったとしても、作り手が何を手がかりとしながら石碑を作ったのかを考えることはできるでしょう。ここで私たちは、碑文の内容に対する文脈を整理しておく必要があるでしょう。最初に8人のイェータ人と22人のノルウェー人が出てきますが、イェータ人の居住地とされているスウェーデン南西部イェータランドは石碑の「発見者」であるオーマンの出身地であり、ヴィンランドの発見者レイフ・エーリクソンはノルウェーの探検家です。それに付合するように、碑文の最後に唐突に出てくる1362年という年号は、マグヌス・エーリクソン王(ノルウェー王として在位1319-55;スウェーデン王として在位1319-64)とその息子ホーコン6世(ノルウェー王として在位1343-80;スウェーデン王として在位1362-64)が、スウェーデンとノルウェーを同時に支配していた時期に当たります。
ここで、さらに、重要な情報を付け加えておきましょう。マグヌス王の時代に行政官であったパウル・クヌートソンは、1354年に王の命を受け、グリーンランドに調査に赴きました。彼と共にグリーンランドを訪れた聖職者イーヴァル・バルザルソンは、1364年に、『グリーンランドの記述』という現地調査記録を残しています。14世紀のグリーンランドを知るための不可欠な史料です。さらに、「ヴィンランド・サガ」と総称される、レイフ・エーリクソンがヴィンランドを発見したことを記録する『赤毛のエイリークのサガ』は、すでに述べたように1310年ごろに、『グリーンランド人のサガ』(Grœnlendinga saga)は1375年ごろに執筆されています。
石碑に刻まれた文章と1362年という年号は、これらの史料の記述を前提に作成されたものと考えるのが自然です。いずれもラヴンの史料集に収録された記録ですし、そうでなくとも一般向けに書かれたアンダーソンの著作にはそれらが反映されています。そうした著作を読みこなすことができるだけの人物であれば、この碑文内容を創作することは可能だったでしょう。そういった意味では、ケンジントン石碑はアメリカにおける北欧中世熱の高まりの現れと言って差し支えありません。
ケンジントン石碑の発見とそのニュースの広がりの後、アメリカでは、次々にルーン文字が刻まれたとされる碑文が「発見」されます。その一部を紹介しましょう。
前史として、ヴェランドリ石碑(Vérendrye stone)をあげておきましょう。この石碑は探検家のヴェランドリ卿(Pierre Gaultier de Varennes, sieur de La Vérendrye, 1685-1749)が、カナダの五大湖周辺を探検したときに発見したとされる石碑です。ただし本人の記録には掲載されておらず、北米を探検したスウェーデン人ペール・カルム(Pehr Kalm, 1716-79)による、五大湖西方の旅行記録『北アメリカへの旅』(En Resa till Norra Amerika, Stockholm, 1753)に証言が残っているのみです。彼は、日本を訪れたカール・テュンベリ(Carl Peter Thunberg, 1743-1828)と同じく、新種の植物を発見するために世界各地に師のカール・フォン・リネー(リンネ)(Carl von Linné, 1707-78)より派遣された「リンネ(リネー)の使徒」の一人でした。
19世紀はヨーロッパと同様、アメリカにとっても考古学の世紀でした。各地に叢生する大学や歴史協会さらに素人考古学者らは、知的関心のみならず、宗教的情熱や地域感情に支えられて、コロンブス以前の時代と現在のアメリカとの繋がりを求めて発掘を進めました。そのような発掘成果の中には、ヴァイキングの過去と連関させようとする動きも見られます。ウェストバージニア州のマウンズビルには先史時代に遡るグレイヴ・クリークの円墳で1838年に発見された、「グレイヴ・クリークの石」(Grave Creek Stone)と呼ばれる幅4・7センチ、高さ3・8センチの円形石には、ルーン文字をはじめ、複数の古代文字が刻まれているとされました。

図版7 グレイヴ・クリークの石のレプリカ
その後、所有者が転じる間に現物は失われました。現在は、スミソニアン博物館に、現物に基づく石膏のレプリカと写真が残るのみです。
ルーン石碑の「発見」が相次ぐのは、ケンジントン石碑がアメリカにおいて一つの流行を作って以降です。オクラホマ州には複数のルーン石碑が存在します。その中で最も著名なものは、ルフロア郡のヘブナー・ルーン石碑公園にある、ヘブナー石碑(Heavener runestone)です。

図版8 ヘブナー石碑に刻まれたルーン文字
「インディアン・ロック」と呼ばれていた巨大な石に刻まれた碑文は20世紀初頭に「発見」され、1923年にスミソニアン博物館によって調査が試みられました。オクラホマ州には、これ以外にも、3つの碑文が「発見」されています。8つのルーン文字が刻まれたポトゥー石碑(Poteau runestone)は1967年に小学生によって、1969年にはやはり子供らによってショーニー碑文(Shawnee runestone)とポーニー碑文(Pawnee runestone)とが「発見」されました。

図版9 ショーニー石碑
研究者の調査によれば、いずれも後世のフェイク碑文です。
1971年に、メイン州フィップスバーグのスピリット・ポンド(Spirit Pond)で、地元の大工ウォルター・エリオット(Walter J. Elliott)によって1つの石碑が発見されました。現在はメイン州立博物館に所蔵されていますが、ハーヴァード大学のエイナー・ハウゲン(Einar Haugen, 1906-94)の鑑定によれば、20世紀のフェイクであろうとのことです。この石碑とともに、しばしば、この地域におけるヴァイキングの痕跡として語られるのが、1957年にブルックリンのゴダード発掘地で「発見」された、「メインの小貨」(Maine penny)として知られる、ノルウェー王オーラヴ3世平穏王(在位1067-93)の貨幣です。

図版10 メインの小貨
貨幣自体は本物であるため、コロンブス以前の北欧人のアメリカ到来の証拠とする向きもありましたが、状況証拠から、偶然もしくは誰かが貨幣をこの発掘地に埋めたのではないか、と考えるのが自然でしょう。
2001年初頭、ケンジントン石碑の発見場所からさほど離れていない場所で、“AVM”(Ave Maria)などとルーン文字で刻まれた石碑が、石刻専門家と地質学者の親子によって発見されました。当初、この地域への中世の北欧人移民の証拠の可能性が提起され、ケンジントン石碑を保管しているアレクサンドリアのルーン石碑博物館などがスポンサーとなり調査を試みました。しかし同年9月5日、この石碑は偽造であるという告白がありました。告白者は著名なゲルマン語学者カリ・エレン・ゲーゼ(Kari Ellen Gade, 1953-2022)とジャナ・シャルマン(Jana Shulman, 1959- )です。彼女らは、ミネソタ大学の大学院生時代の1985年に、友人らと共に、周囲の人が本物とフェイクを見分けることができるのかという社会実験といくばくかの楽しみを目的として自分たちがこの石碑を偽造したと、ミネソタ歴史協会宛の書簡で明らかにしました。さらに、この石碑の発見と連動して、地域のカトリック信者が、ケンジントンに「ルーン石碑聖母教会」(Our Lady of the Runestone Catholic Church)を建設したことも指摘しておきたいと思います。
以上のように、20世紀のアメリカでは、次々にルーン文字が刻まれた碑文や石碑が「発見」されました。ここではケンジントン石碑を事例として、こうしたフェイク石碑が社会にどのような影響を与えたのかを概観しておきましょう。
最初に、発見地以外でこの石碑が衆目を集めたのは、1948年におけるスミソニアン博物館での展示です。上述したように、石碑は専門家から偽作とされていました。しかし博物館は、ノルウェー出身の地域史家ヤルマー・ホランド(Hjalmar R. Holand, 1872-1963)による、石碑は真作という判断を支持していました。

図版11 ヤルマー・ホランド
さらに彼はその著作『コロンブス以前のアメリカ十字軍』(A Pre-Columbian Crusade to America, 1962)の中で、1362年の出来事とされた石碑の伝える歴史的「事実」を、先述したパウル・クヌートソンの遠征と結びつけ、ヴァイキング時代の移住に続く、ネイティヴアメリカンに対する北欧人の「十字軍」であると位置付けました。これは、アメリカにおける福音派の影響を認めることができるかもしれません。
1964年から65年にかけてニューヨークで開催されたワールドフェアでは、各州単位での展示が行われていました。地域の産業に焦点を当てたミネソタ州はさほどの人気を得られませんでしたが、会期後半に「ミネソタ:アメリカ発祥の地?」(Minnesota - a birthplace of America?)というスローガンを掲げ、ケンジントン石碑を展示しました。その結果、前半とは異なり、相当数の来場者を獲得することができました。このフェアに訪れた人は、概算でも延べ5000万人以上であることを考えると、アメリカ人のヴァイキングに対する、さらに言えば自分たちの始まりの歴史に対する関心の高さを窺い知ることができます。他方で、人類学者らは、ケンジントン石碑は、産業で栄える東部を羨みながら疲弊した中西部の、つまりトランプ現象を支えた「ラストベルト」(さびついた工業地帯)の住民に、地域としての誇りすら与えていた、と分析します。
2000年には、スミソニアン博物館において「ヴァイキング:北大西洋のサガ展」(Vikings: The North Atlantic Saga)が開催されました。

図版12 展覧会カタログ
当時のファーストレディであったヒラリー・クリントンも公式に祝辞を述べるほどの規模と意義を持っていた展覧会です。ここにおいてもケンジントン石碑は展示されました。カタログでは、石碑の発見以来の歴史を整理しており、ルーン学者による偽作という説は前提としながらも、この石碑がアメリカ社会においてどのように受け取られてきたのかが説明されました。学術的には慎重な態度を取るという点において、1948年における展示とは石碑への向き合い方が大きく異なっています。上述した “AVM” 石碑騒動も、アメリカにおけるヴァイキングへの関心が頂点に達した2001年に起こっていることを想起すべきでしょう。
2003年から翌年にかけて、ストックホルム歴史博物館で「ケンジントン石碑の謎展」(The Riddle of the Kensington Stone)が開催されました。同館が「ヴァイキング展」に際してスミソニアン博物館に数多く所蔵物を貸し出したことに対する返礼と考えられます。ただし、この展示を巡っては一悶着ありました。当時の館長クリスティアン・ベルグ(Kristian Berg, 1952-2020)が、ケンジントン石碑が偽作であることには触れず、文化遺産として価値があるという曖昧な言い方をしたことに対し、ウプサラ大学のルーン学者ヘンリク・ウィリアムズ(Henrik Williams, 1958- )は真偽をゆるがせにすることはできないと批判しました。つまり、アメリカに配慮しようとするベルグに対し、ウィリアムズは、ストックホルム歴史博物館というルーン文字研究の総本山がお墨付きを与えることで、展示内容が悪用されることを恐れての批判でした。というのも、スウェーデンでの展示会では、アメリカ大使館に加えて素人学者と言って良い人物も関わっていたからです。その後ケンジントン石碑は、発見者であるオーマンの故郷であるヘルシングランドの博物館でも展示されました。
2006年には「米国ルーン研究協会」(American Association for Runic Studies)が創設されました。上で確認したように、アメリカでは、ケンジントン石碑以来、次々にルーン碑文が「発見」されたため、関心を持つ人が増えた、ということでもあります。研究者というより愛好家集団によるこの協会は、英語に堪能なウィリアムズをしばしばスウェーデンから招聘し、「学会」とエクスカージョン(体験型の見学会)を企画しています。すでに確認したように、彼はケンジントン石碑が偽作であることに疑いはないとする立場です。その一方で、研究協会のメンバーに対してルーン文字や石碑について解説し、現在はアメリカにおけるルーン石碑の刊本も準備しています。フェイクを正しく恐れ、正しく楽しむ、という態度と見て良いでしょうか。
北欧人がコロンブス以前にアメリカに到来したことを示す「証拠」はルーン碑文に限られません。イェール大学バイネッケ図書館に所蔵される「ヴィンランド地図」と呼ばれる地図は、11世紀の世界図(mappa mundi)を模写した15世紀の世界図と考えられてきました。

図版13 ヴィンランド地図
この地図には、16世紀以前の世界図には確認されない「ヴィンランド」が描写されており、当初はコロンブス以前に到来したヨーロッパ人がいたことの証拠と主張する者もいました。この地図を詳細に検討した1965年の著作(R. A. Skelton et al. The Vinland Map and the Tartar Relation, Yale University Press)によると、イェール大学と大英図書館は真作と判断してきました。しかしその後の調査で、インクや筆跡は20世紀のものと判明し、まごうかたなき偽作と認定されました。
ロードアイランドにあるニューポートタワーも長らくヴァイキングの遺跡と考えられていましたし、シカゴ北部のウォキーガン(Waukegan)で発見された、ルーン文字もどきが彫られている角笛もヴァイキング到来の証拠とされてきました。

図版14 ニューポートタワー
しかし、これらもまた後世の偽作であることが証明されています。上述した、アメリカ中西部から東海岸で次々に「発見」されるルーン文字が刻まれた遺物と合わせて考えますと、こうした「ヴァイキングの遺産」と、アメリカ研究者の小森真樹が観察する、良くも悪くも地域感情を掬い取る公共博物館との関係も見えてくるように思います。

図版15 小森真樹『歴史修正ミュージアム』(太田出版、2025)
ヴァイキングによる北米大陸との接触は、19世紀以来、コロンブスによるアメリカ「発見」言説との間で、アメリカ人のアイデンティティにどちらが大きな位置を占めるかという綱引きを繰り返していた、とアメリカの著名な批評家アネッテ・コロドニー(Annette Kolodny, 1941-2019)は著書(図版16)の中で主張しました。

図版16 アネッテ・コロドニー『ファーストコンタクトを求めて』(Duke University Press, 2012)
北米先住民と最初に接触したのはいずれか、という問題です。歴史的事実としては疑いもなくヴァイキングですが、多様な出自を持つアメリカ人総体のメンタリティを考慮すれば、簡単な話ではありません。上述したように、現在のアメリカには、「コロンブスの日」と「レイフ・エーリクソンの日」という、2つの「発見」記念日があるという事実が、コロドニーの理解を強く裏付けています。
そのような流れを汲みつつ、アメリカにおけるルーン文字と北欧中世の遺産は、今なお、オリジナルである欧州のそれとは異なる独自の意義を帯びつつあります。つまり、福音主義が強まる中、キリスト教的左派の価値観に対抗しうるオルタナティブとして働くシンボルとして機能しつつあるのです。2021年1月6日に、バイデン大統領に選挙結果を「盗まれた」と主張するトランプ支持者らが、アメリカ合衆国議会議事堂を襲撃するという事件が起こったことはなお記憶に新しいでしょう。その際逮捕された人物の中には、シャーマンを自称し、身体中に北欧表象を刺青した陰謀論者ジェイク・アンジェリ(Jake Angeli, 1988- )もいました。

図版17 ジェイク・アンジェリ
北欧シンボルを刺青として模った異様な風貌でマスコミにしばしば取り上げられたこの人物は、メディアを通じて北米における北欧がどのように利用されているのかという実例を我々に認知させました。宗教思想研究者の加藤喜之は近著で現代アメリカにおける福音派の重要性を説きましたが、

図版18 加藤喜之『福音派――終末論に引き裂かれるアメリカ社会』(中公新書、中央公論新社、2025)
アンジェリらが表象する異教主義や “AVM” 石碑を利用して教会を建設したカトリックの動きも合わせて考えると、アメリカにおける歴史と信仰(運動)との関係は、より広範囲かつロングスパンで見てゆく必要があるようにも思います。
真面目な学者にとって、事実がどうであったのかという問いは重要です。しかし、一般社会にとっては必ずしもそうとは限りません。そのことは、考古学者のケネス・フィーダー(Kenneth L. Feder, 1952- )らが収集するアメリカにおける疑似考古学や疑似科学の事例がいくらでも証言しますし(図19)、ソーシャルメディアを通じて陰謀論や偽情報が跋扈する現在のアメリカ(だけではないが)の状況を見れば容易に理解できるでしょう。アメリカ人のアイデンティティに関わるルーン文字の受容は、フェイクを通じた社会のあり方をも映し出すのです。

図版19 Kenneth L. Feder, Frauds, Myths, and Mysteries: Science and Pseudoscience in Archaeology 11th Edition (Oxford University Press, 2025)
〈参照文献〉
