北欧神話と気候変動を記憶するルーン石碑: レク石碑の誕生
第5回 北欧神話と気候変動を記憶するルーン石碑: レク石碑の誕生
近年、歴史学では、気候変動に関する研究が活況を呈しています。中世史という分野においても、エマニュエル・ル=ロワ=ラデュリの古典的研究である『気候の歴史』(1967)を踏まえた上で、自然科学の知見を踏まえたブルース・キャンベル『大遷移』(2016)やヨハネス・プライザー=カペラー『長い夏と小氷期』(2021)といった新しい概論を手にすることができます。世界中の中世研究者がイギリスのリーズに一堂に会する国際中世研究集会(Leeds International Medieval Congress)の今年度の共通テーマも「気候(Climates)」でした。
このような研究潮流の背後には、もちろん、世界的な SDGs(Sustainable Development Goals:持続可能な開発目標)への関心の高まりを見てとることができるでしょう。国連が定めた17の目標のうち13番目に当たるのが「気候変動に具体的な対策を」です。地球温暖化に代表される環境問題の解決に対して世界が一致して取り組むべきという考えは、歴史学の世界にも大きな影響を与えました。つまり、現在の問題を解決するために、過去の状況を正確に知り、その時代や地域に応じた対応策を復元し、それを現在の私たちにつながる歴史叙述の中に組み込む意義が共有されつつある、ということです。
気候変動に関する従来の研究は、文献の中にある記述を地道に収集し、それを長期的な気候トレンドの中で解釈するというものでした。この手法自体は現在進行中の研究のベースにもなっていますが、近年の研究の特徴は、それのみならず、自然科学的手法で収集された世界各地のプロキシデータ(気象観測がなされていなかった時代に関して、木の年輪や氷床コアのように間接的な気候の記録となっているデータ)を用い、地域単位の特徴を再現し、それらを統合してより大きな地域枠や時代枠のトレンドを再現する、というものです。例えばプリンストン大学の「Climate Change and History Research Initiative」、イエール大学の「Climate and History Initiative」、ハーバード大学の「Initiative for the Science of the Human Past at Harvard」などでは、歴史学者が、莫大な資金を投入して世界各地から収集したプロキシデータに基づき、前近代世界の気候変動と人間活動との関係を明らかにしようとしています。
ヴァイキング研究もその潮流の中にあることは明白です。今回は、気候変動とヴァイキングとの関係について、近年の研究を参考に考えてみましょう。
前回、「X が Y を記念してこの石碑を立てた」という定型句のあるルーン石碑の誕生について触れました。石碑の建立は、16文字の新フサルクが誕生する8世紀半ばごろから増え始め、ヴァイキングの襲撃が激しくなる紀元1000年前後に最盛期を迎えました。今回取り上げるのは、こうした石碑建立活動において比較的初期の石碑の一つである9世紀のレク石碑(Rök runestone)です。
レク石碑は、スウェーデン南部のエステルイェートランド県のレク教会脇に今なお屹立する石碑です。ここはスウェーデン第二の都市イェテボリと首都ストックホルムをつなぐ幹線道路沿いであり、ヴェッテル湖の東岸にあたります。エステルイェートランドはヴァイキング時代を通じてもスカンディナヴィア半島中部のウップランドに次いでルーン石碑が密集している地域でした。それはこの地域が、石碑を建てることのできる在地有力者が多数割拠した豊かな地域であることを意味します。
レク石碑は、高さ2・5メートル、幅1・5メートル、厚さ50センチの、上部の先がやや湾曲した直方体のかなり巨大なモニュメントです。

図版1 レク石碑(Ög 136;スウェーデン・エステルイェートランド県)
Photo: Bengt Olof ÅRADSSON
装飾は一切ありませんが、この石碑を著名たらしめているのは、総計750文字という、刻まれたルーン文字の文字数です。これは現存する石碑の中で最大の文字数です。

図版2 レク石碑のルーン文字列を28のテキストに分け、読み方を示したもの
それにくわえて、レク石碑は非常に興味深い碑文を持っています。というのも、ヴァイキングの戦士であるヴァリンなる人物がその息子ヴァーモーズの死を記念して建てたこの石碑は、全編謎かけを刻んでいるからです。
こちらの謎かけの内容に関しては、過去100年以上にわたり、名だたるルーン学者がその解明を試みてきました。とりわけ、記述の一部が、東ゴート王国を建国した6世紀の東ゴート王テオドリック(在位471-526年)について書かれたものという解釈も可能な箇所もあり、ゲルマン人の民族移動期における歴史伝承との関わりで解明しようとする説が有力でした。しかし、ルーン学の専門誌『Futhark』10号(2020)に刊行された論考「レク石碑と世界の終末」(“The Rök Runestone and the End of the World”)では、スウェーデンの文献学者、ルーン学者、考古学者の共同研究により、従来とは全く異なる、新しい読み方が提示されました。この著名な石碑の碑文内容と気候変動との関係を論じる当該論文は、アカデミアのみならず、マスコミ一般の関心も大いに引きました。
ここでは、この新しい研究成果を参考にしながら、レク石碑の存立意義について考えてみましょう。
すでに述べたように、レク石碑の碑文については多様な読み方が提起されてきました。いずれも名だたるルーン学者による検討の産物ですから考慮すべき余地はありますし、なお未解決の箇所も多々あります。今回は、『Futhark』(2020)に示された読み方に従って、まずは全体を見ておきたいと思います。当該論文では、碑文全体を〈死せる息子の記憶〉〈光の記憶〉〈光に対する供儀の記憶〉〈力あるものの戦いの記憶〉〈最後の光の記憶〉〈最後の力あるものの戦いの記憶〉というパートに区分しています。2番目の〈光の記憶〉から〈最後の力あるものの戦いの記憶〉までが謎かけです。それでは碑文を見てみましょう。
〈死せる息子の記憶〉
aft uamuþ stąnta runaR þaR + 〈i〉n uarin faþi faþiR aft faikiąn sunu
訳:ヴァーモーズを記念してこれらのルーンは建つ。その父ヴァリンが死すべき定めの息子を記念してそれらを作った。
〈光の記憶〉
sakum uk mini þat huariaR ualraubaR uaRin tuaR þaR suaþ tualf sinum uaRinumnaR t ualraubu baþaR sąmąn ą umisumąnum
| þat sakum ąnart huaR fur niu altum ąn urþi fiaru miR hraiþkutum auk tumiR ąn ub sakaR raiþ iau rikR hin þurmuþi stiliR flutna strąntu hraiþmaraR sitiR nu karuR ą kuta sinum skialti ub fatlaþR skati marika
訳:
【問1】イッグ(=オージン)の記憶として言おう。次々に12度戦利品として取られたものは2つのうちいずれか。
【問2】第2の記憶として言おう。9世代前に HraiðgutaR(東ゴート)とともに(=東方で)その命を失いしは誰か。しかしなお、それを決するのは誰か。
戦士らの長たる豪胆な王者は馬に乗り、Hraiðsea(東の海)の海岸を越えた(=東の境界を越えた)。今、彼は馬上で盾を構えて武装し、名のあるものたちの中でも第一のものだ。
〈光に対する供儀の記憶〉
sakum uk mini þat huaR i kultika uaRi kultin t kuąnaR husli
訳:
【問3】イッグ(=オージン)の記憶として言おう。吠えるもの(=狼)ゆえに、女の供儀を享受してきたのは誰か?
〈力あるものの戦いの記憶〉
þat sakum tualfta huar histʀ si kunaR ituituąki ąn kunukaR tuaiR tikiR suaþ ą likia
+ þat sakum þritaunta huariR tuaiR tikiR kunukaR satin t siulunti fiakura uintur at fiakurum nabnum burn〈i〉R fiakurum bruþrum
+ ualkaR fim ra͡þulfsuniR hraiþulfaR fim rukulfsuniR hąislaR fim haruþs suniR kunmuntaR fim ḅirnaR suniR
nuk m--- m̩-- alu --ki ainhuaR -þ… …þ … × ftiR fra
訳:
【問4】12番目として言おう。戦いの馬(=狼)が戦場で餌にまみえるのはどこか。20人の王が横たわるのはどこか。
【問5】13番目として言おう。戦士たちの叢林(=戦場)で四方に広がり、4つの名前を持ち、4人の兄弟から生まれたのは、20人の王のうち誰か。
それらはラズルフの息子たちである5人のヴァルキ、ログルフの息子である5人のラーズルフ、ハルズの息子である5人のハーイースル、ベルンの息子である5人のグンムンドである。
そしてイッグ(=オージン)のための記憶…
〈最後の光の記憶〉
[-akum uk mini þur] [si]bi [ui]a[ua]ri [ulni ru]þR
訳:
イッグ(=オージン)のために記憶を言おう。
【問6】兄弟のための聖地の守護者は誰か。
【問7】狼が血で染めているのは誰か。
〈最後の力あるものの戦いの記憶〉
[sakum] [uk] [mini]
[uaim] [si] [buriniþ]ʀ trąki uili nis þat +
[knuą] [knat]iatun uili nis þat +
訳:
イッグ(=オージン)の記憶を若き人に言おう。
【問8】誰の子孫として生まれたのか。それは嘘ではない。
【問9】巨人を打ち負かすのは誰か。それは嘘ではない。
以上の碑文を一瞥したとしても、現代の我々には、一体何を意味しているのかすらよくわからない謎かけです。しかし9世紀のヴァイキングたちは、レク石碑に刻まれたこの謎かけの意味も意義も理解できていたはずです。これらの謎かけが一体何を表しているかについては、100年以上にわたる論争がありますが、スウェーデンの研究グループは、謎かけの解答はおおよそ、オージンと太陽に関わるものが多いだろうとの解釈を提示しました。つまり、太陽の光が失われてしまったのち、その光が復活するまでのストーリーがここに刻まれている、とするものです。
オーロフ・スンドクヴィストら宗教史学者らによれば、レク石碑の立つ土地は、もともと、この地域の住民が集まる集会所としての役割を果たしていたと考えられています。ゲルマン人の民族移動期以来の伝統に従い、自由農民であるヴァイキングは、特定の場所に集まり、地域の首長の司式のもとに、地域内での問題解決や決め事を遂行していました。とりわけ、レク石碑のような印象深い特徴を持った石碑のある場所は、天体運行の予測と合わせて、彼らにとって重要な宗教儀式を行うための聖地ですらあった可能性も指摘されています。畏怖すべき自然と向き合うヴァイキング社会において、キリスト教導入以前の宗教儀礼の持つ意味は、ことのほか大きかったことを我々は想起する必要があります。考古学者ニール・プライスが新しいヴァイキング概説で指摘するように(Price 2020)、ヴァイキングのメンタリティは、当時の世界観とその世界観を通じて解釈される自然環境の中で醸成されており、彼らの活動もまた、そうした世界観と関連させて理解せねばならないというのが近年の研究の潮流です(言うはやすし、ですが)。
考古学的な調査によれば、レク石碑のある場所は6000年前から農業が行われた豊かな地域であったこともまたわかっています。周囲には先史時代以来の墓地や遺跡なども発見されており、ヴァイキング時代以前から長期にわたって、権力を持つ人々が拠点として定住するのに十分な価値を持っていたようです。周辺には人々に恩恵をもたらす水源や森林が豊かに存在していました。しかしながら、当該地域の層位研究によれば、6世紀半ばに耕作地が急激に減少する痕跡が確認されます。
気候変動研究の重要なデータ源となっているグリーンランドと南極大陸の氷床データを分析した結果、この地域で6世紀半ばに広く見られた農業活動の衰退は、おそらく、全世界に影響を与えた6世紀の大災害と関係あることが想定されました。それは赤道近辺のいずれかで起こった火山爆発であろうと推測されています(それがどこかであるかについては東南アジア説やアメリカ説などいくつかの説が提起されています)。多くの本や研究者が伝えるように、この火山爆発の影響は激甚でした。火山灰が天空を覆い、北半球全体に寒冷状態を引き起こしたことがわかっています。その結果として、北欧においても農業の不振と人口減少が引き起こされた、と考えられています。
いわゆるゲルマン人の民族移動期の最終段階で起こったこの気候変動は、ヨーロッパ半島の歴史にも大きな影響を与えたと見積もる必要があります。その相関関係は完全に明らかにされているとは言えませんが、14世紀の黒死病にも勝るとも劣らない社会的影響を引き起こしたと言われる6世紀の東ローマ帝国で大流行した「ユスティニアヌスのペスト」もまた、この噴火と相関関係があると想定されています。ノンフィクション作家デイヴィッド・キーズの『西暦535年の大噴火』は、古代末期に起こったこの噴火が、世界史に与えたかもしれない影響を余すところなく伝えています(ただしその因果関係は歴史家が直ちに首肯できるものではありません)。1257年のインドネシアのサマラスにおける巨大噴火が遠く離れたイングランドの食糧危機を引き起こしたとするような、歴史上の大噴火に伴う火山灰などによる天候不順は、現在歴史気候学においても重大なトピックとなっています。社会的影響は、その地域が持つレジリエンスによって大きく変化するものではありますが、今後も注目すべき問題であります。
ここでレク石碑のテキストに戻ってみましょう。
すでに述べたように、このテキストの謎かけの解答は、オージンと太陽の関わりに収斂すると考えられます。

図版3 デンマークのライアで発見されたヴァイキング時代の玉座に座るオージン像
Photo: Mogens Engelund
研究者らは、この解答に注目します。つまり、以下の2点が推測されます。
① 6世紀の危機的状況の後にエステルイェートランドで起こった地域権力の再編は、ゲルマン信仰の中で最強の神であるオージンとこの土地の支配者を結びつけるイデオロギー上の操作が進展した。
② この謎かけの背景には、北欧神話における神々の終末の戦いである「ラグナロク」の思想があり、それは6世紀の気候変動による危機を背景として当該地域において表面化し記憶されてきたものである。
ここで私たちは北欧神話について考えてみましょう。近年日本でもアニメにもなった『進撃の巨人』(諫山創、『別冊少年マガジン』[講談社]2009-2021)や『終末のワルキューレ』(梅村真也原作、フクイタクミ構成、アジチカ作画、『月刊コミックゼノン』[コアミックス]2018年より連載中)などにモチーフが取り入れられるなど、巷で大変人気のある北欧神話ですが、太古より我々が知るかたちで人々の記憶に存在していたわけではありません。神話もまた歴史的存在であり、時代とともに変化を経験します。私たちが現在知る北欧神話は、13世紀以降のテキストの中に保存されたものを再現したものです。ですから、その中には、古くから伝えられてきた要素もあれば、キリスト教が導入された後に組み込まれた要素もある、というのが学者の意見の一致するところです。
考古学者ロッテ・ヘゼアガーによれば、ゲルマン信仰を基盤として現在の北欧神話の原型が生まれたのは、4世紀から6世紀にかけてのゲルマン人の民族移動期です。すなわち、地中海文明と接触したゲルマン人らは、地中海型神話であるギリシア神話やローマ神話のように人格神が躍動する世界観に影響をうけて、北欧神話の原型を生み出した、というものです。十分な資料がないので確実にそうと言い切れるわけではありませんが、初期中世における北ヨーロッパの図像表現などを見る限り、地中海文明の精神世界が生み出した人格神と同等の存在が最初からいたとは思えません。翻って、6世紀以降の北欧世界では、北欧神話の核となるような要素が、装飾品や石碑の図像そして短い文言などの中に徐々に確認されるようになっています。従って、この仮説にも、一定程度以上の信頼を置いて良いのかもしれません。
北欧神話におけるラグナロクは、一神教世界の終末論をなぞっているようでもあり、神族の最終決戦というようにゲルマン信仰の極致を示しているようでもあります。近年スウェーデンの学者らは、こうしたラグナロクのモチーフの根底には、6世紀の気候変動の痕跡を見てとることができるかもしれない、との説を提起しています。ここではとりわけ、考古学者ボー・グレースルンドとニール・プライスの説を紹介しておきましょう。両者は、北欧神話を伝える歌謡を集めた「エッダ詩」に収録された「ヴァフズルーズニルの歌」と「巫女の予言」という、古北欧人のコスモロジー観を示す古詩の中に、536年の気候変動と関わる痕跡を見てとることができるかもしれない、と主張しています。具体的には下記の4点です。
①「ヴァフズルーズニルの歌」44では、ラグナロクに先立つ極寒期(fimbulvetr)の考えがあり、それは「巫女の予言」41では「黒い日差し」(svǫrt ... sólskin)のある夏とも呼ばれている。
②「ヴァフズルーズニルの歌」46では「太陽を飲み込む狼フェンリル」(hana Fenrir fari)が、「巫女の予言」40では「太陽の破壊者」(tungls tjúgari)とその一族のものが出てくる。
③「巫女の予言」41の「諸神の住まい」(ragna sjǫt)を「赤き血で染める」(rauðum dreyra)という表現は、1815年のインドネシアのタンボラ山や1883年の火山島クラカタウなど、他の熱帯火山の大噴火の後に報告された北半球の激しい真紅の空と一致する。
④「ヴァフズルーズニルの歌」47の「太陽の娘の誕生」(Eina dóttur berr Álfrǫðull)は、念願の太陽の復活と結びつけることができる。
レク石碑の謎かけには、こうした13世紀に完成形を見る北欧神話の原型の一部、とりわけラグナロクという世界の終末とそこからの復興という神話の世界観の核が見てとれることを示唆しています。
つまり、ここまでの議論を敷衍するならば、ゲルマン人の民族移動期における地中海と北ヨーロッパとの交渉の中でゲルマン人世界に「輸入」された人格神的世界観が、536年の気候変動の記憶を反映するかたちでラグナロクという終末観を増幅させ、オージンの神格と自身の武力的性格を融合させた在地有力者家系がそうした記憶を継承し、9世紀のレク石碑の中に記録させた、というストーリーが浮かび上がってきます。
あまりにも整序された議論と捉える向きもあるでしょうか。私自身も、それほど簡単な絵が描けるとは思いませんが、ヴァイキング時代の同時代史料であるスカルド詩(王や戦士の武勲を主題とするものが多い)やルーン石碑の中に、こうした形成過程にある北欧神話の断片が記録されていることは紛れもない事実です。それらは以下の石碑に見ることができます。

図版4 ヴァング石碑(N84;ノルウェー・オップランド県)
Photo: John Erling Blad

図版5 トゥルストルプ石碑(DR271;スウェーデン・スコーネ県)

図版6 レドベリ石碑(3方向にある石碑を合成して正面に向けたもの)(Ög 181;スウェーデン・エステルイェートランド県)

図版7 フンネスタッド石碑(ルーン文字のない絵だけの石碑)(DR 284;スウェーデン・スコーネ県)
北欧神話を伝える「エッダ詩」は13世紀になってようやく書き留められたという事実は重いですが、そこへと収斂するさまざまな神話的要素は、ヴァイキング時代を通じて、生成し、混淆し、再創造され、文献記録が最盛期を誇る時代のアイスランドで写本にまとめられることになった、という理解は、文献学的にも歴史学的にも大いにありうる内容だということはできるかもしれません。
今回紹介したレク石碑については、ヴァーモーズなる人物が死んで記念された石碑である、以外の点については全て仮説です。536年の気候変動と関連づけるという試みも、画期的ではあるものの、これで間違いないと断言できる学説ではありません。それは、仮説を提起したスウェーデンの研究者らも重々承知しています。しかし、歴史気候学や考古学の近年の研究成果に照らし合わせると、従来解読が困難であったレク石碑の内容が、ある程度説明できそうだという意気込みは伝わったのではないでしょうか。スウェーデンの学者が気候変動説にこだわっているのは、環境活動家のグレタ・トゥンベリの出身国だからだと思う向きもあるかもしれませんが、現在の歴史研究が、従来よりも遥かに大きな比重を気候変動の研究においていることは念頭に置いておくべきでしょう。今後の研究の展開を待ちたいと思います。
〈参照文献〉
